一昨日、セレブまるかん加藤美和さんのご厚意で宇野社長と八大龍神社にご一緒させていただきました。*2020/6/14(日)のことです。
竹島の八百富神社と八大龍神社に参拝した後、老舗の蒲郡クラシックホテルにてお茶をしました。
*八大龍神社と蒲郡クラシックホテルの情報はこちら
宇野社長のお話
・職場での困りごとはそれぞれの持ち場役割の人にいったほうがいい。
・持ち越した問題はまた現れる。
神様は優しいからより分かりやすくしてくれる。困っている人から見るともっと困ったことになる。
・肩の痛みには物理的な問題と心理的な問題があるよ。
といった話がありました。
そのなかで
「できるかできないか」より「やるかやらないか」を神様は見ている。
宇野社長の話で印象に残った言葉です。
*以下私の感想なのでとばしてもOK
私たちは小さいころから学校の教育などでできるかできないかで評価されてきました。例えばテストの点や100mをどれだけ早くはしることができるかで1~5の評価がつけられてきました。「できること」で評価され高校も「できること」で決まってしまいます。
その流れで大学~会社に入社するという道順が決まっていました。
「できること」に注目して人生をおくるのを「学歴社会」と呼んでいました。
「あーいい会社にはいったねー」と隣のおばさんがいってくるのは「できること」をどれだけ積み重ねたかを評価してることばで、裏を返せばそれだけ「できること」があってえらいねーそれだけできることがあれば幸せになれるよということです。
それはちがうよということ
「やれなかった」ことを「やること」
しゃべれるのが下手な人がしゃべる舞台に立っただけですごい。ふるえながらでもやるとそこに感動がうまれる。 と斎藤一人さんの本でもありました。
もともとしゃべるのがすきな人がしゃべっても深みがないんだよとも言っています。
これは、できない人が「やったこと」にフォーカスしています。
しゃべるのが苦手な人が、しゃべろうと思う、とりあえずしゃべる、全くしゃべれなくても2回目に挑戦する、あいさつができる、話を3分することができる、5分できるようになる、お客さんが10人いても しゃべれるようになる。
とできることが増えていきます。で僕たちが心を動かされるののは「できること」じゃなくて、「やったこと」じゃないか? ということです。
そんな話に感動するんだよ。魅力が出るんだよと言っています。
さて、私の娘は学校にいけてないんです。
が、これに悩むことというのは「できること」に注目してるわけで、学校に行くことが「できない」という考え方を私がしているのかなとおもいました。
それより、部屋から出てこれた、かたずけができるようになった。
部屋から出るという決断をしてでた、片づけをやろうと思ってやったということに目を向けたほうがいいんじゃないかと気が付きました。
「できること」に焦点をあてて失敗した話
竹島をまわってるあいだにいろいろ話をしていました
「ここに来る人ってみんないい人なんです」
という話があり「たしかにそうだなー」と思いました。
「こんな話していいだろうか?こんな悩みがあるんだけど変な話してないかな私? みたいな恐怖感ないですよねー」といいました。
心理的負担が少なくて、こんなこと言っていいんだろうかと思い悩む時間がなくてコスパがいいんです。
先日、仕事ができる新人がはいってきました。
*「仕事ができる人はこんな人」の新人
仕事はできて一見明るいのですが、あいさつができないんです。
ん? おかしいぞと思っていたらあとからいろいろ問題がでてきました。
あいさつをしてあいさつが返ってこないのって恐怖でしかないですよね
結局仕事が「できる」=仕事が回るってことに安心して、きちんと「挨拶する」とか「報告する」とかの初期教育を入社時しなかったんです。
でやっぱり問題が出てきました。
最後に
「いこうか、いかないか迷ってました」とおっしゃっているかたがいました。
たぶんみなさんそうだと思います。「いく」ときめて「いった」ということが大事なんだと思いました。
この宇野社長と竹島にいく機会も、加藤美和さんが「いっしょにいっていいですか?」と宇野社長にきかなかったらなかったし、宇野社長が「いいよ」と言わなかったらなかったことです。
ダメかもしれないけど「いってみた」ってことがこういう機会になりました。
「できるかできない」じゃなくて「やるかやらないか」
学歴の時代じゃなくて魅力の時代ですよって話でした。
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