「情けは人の為ならず」という意味は 人に対して情けを掛けておけば,巡り巡って自分に良い報いが返ってくるという意味の言葉です。
この言葉をちょっと検証してみます。頑張ってよんでください。
毎週火曜日にコメダに来ています。 この記事もコメダで書いています。
このコメダは、家から4軒目のコメダ珈琲です。
なぜ4軒先のコメダにわざわざ来るのか? がきょうの話です。
結論からいうと店員さんが好きだからです。
あいさつが気持ちいいんです。
あいさつが気持ちいいとゆっくりできます。「ごゆっくりどうぞ」に気持ちがこもっているように感じています。
さて、コロナのさなかには3組しかいなかったお客さんが満席です。
いい店にはお客さんが帰ってきます。やっぱり。
ちなみに私はここにコーヒーを飲みに来てるわけでも、ブログを書きにくるわけでもありません。
気持ちいい空間と、ちょうどいい距離のドライブの最中にインスピレーションが来るのを待っています。(変な理由ですね)
つまり、家からここに来る途中に「日本一うまいコーヒーやさん」があっても、行かないということです。
私の店の商品は日本一だ、というお店があったとします。でも、そもそも客さんは日本一のコーヒー=商品を求めていないかもしれないんです。
ちなみに喫茶店にくる理由としては「コーヒーを飲む」を理由にしていないのは私だけではなくて
*愛知県の喫茶店利用料は12562円(1位岐阜は13518円)でぶっちぎりのワンツーです。 ちなみにコーヒーの消費量は愛知県は24位岐阜は29位です。
つまり、コーヒーが好きなのではなく喫茶店が好きなのです。
じゃあ「喫茶店でもやるかっ」てことでもなさそうです
昨年のことですが近所にコーヒー店ができましたが、6か月後には閉店していました。
全国区のチェーン店で、市内にも数件あります。
この店は交通量のある道路沿いにありましたが、ドラッグストアと駐車場を共有していていました。
ドッグストアという日常使用している店舗が近すぎて非日常感を感じることができませんでした。
ちょっと郊外の大きい店舗の方がこの市内でははやるのかなと思います。
この例は、お客さんが来る理由が立地もしくは空間です。「味」=商品が決めてではなかったということです。
空間は物理的な店舗の設計、席の高さ、隣との距離のほかに人=店員さんがおおきそうです。
ちなみに店員さんがぶすっとしていたら、コーヒーを飲みに来ているわけではない僕は他の店に速攻でいきます。
逆に、店員さんが感じのいいところには多少遠くても通ってしまいます。
お金や時間を払った以上に気持ちがよければとくをしたと感じちゃいます。
感じがいいは思った以上に大切
会社のパートさんに差し入れをします。
何回か差し入れもしました。で、いつもお礼を言ってくれる人は決まった人だなって気が付いてしまいます。
お礼をしてほしいわけではありませんが、ただ得したなとおもっているだけの人より、ありがとうといってくれる方が気持ちがいいです。
気持ちがいいを買っているのかもしれない
斎藤一人さんでも、ごちそうしてごちそうさまを言わない人にごちそうしたくないよね。 と言っています。私みたいな凡人はなおのことです(笑)
GIVERとTAKER
「与えると、帰ってくる」「情けは人のためならす」
というのは、必ずしもみなに当てはまらないことに気が付きました。
TAKEするだけのひと(受け取るだけ)にGIVE(あたえるだけ)しつづけたところで帰ってこないのです。
TAKE(もってく)だけのひとにGIVEをし続けると疲れてきます。
人は選ばないといけません。
話がそれましたが、私が、出世させるとしたら、「ありがとう」を言ってくれる人です。
で、「ありがとう」というかわりに、さらに(もっていこう=TAKEしよう)とするパートさんもいます。で、こういう人のポジションをあげようかというとあげないのです。
「与えるものは与えられ、うばうものは奪われる」の 聖書の言葉を地でいくことになります。
もったいないことに
「ありがたいな」とおもっても言わない人がいるかもしれません。
ひょっとしたら、ほとんどの人がそうかもしれません。
でも「ありがとう」といわないかぎり伝わりません。
印象としては、けっこうな差があります。
まとめると
- 商品がよければいいわけではない
- そもそもお客さんが求めているものをみつける
- 「 感じがいい」はつよい
- 与える人は選ぶ
- 「ありがとう」という行動をする
ってことでしょうか? ビジネスの話からみる生き方の話でした
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